「幸いである」  02−02−02
                   ルカ6:12〜16

 主は弟子たちをご覧になって、<貧しい人々は幸いである。
神の国はあなたがたのものである>とおっしゃいました。
これは、主イエスにしか語ることのできない言葉です。
主イエスにしか創り出すことのできない幸いだからです。

 主は、人間として生きていくのには少し貧しいくらいの方が良い
などとおっしゃるのではありません。貧しさの勧めといった処世訓と
しておっしゃっているのではありません。自分ではもうどうしようもない
ほどの徹底的な貧しさを幸いとおっしゃるのです。
 それは、主イエスから目をそらすことのできない生き方であり、
主から与えられることを求めるしかない生き方だからです。
 そして、主イエスは、そのような者を決して放
(ほ)っておかれは
しない方だからです。「あなたが必要です」と主に向かうしかない
者を、ぐっと受け止め、与え、満たすつもりがあるから幸いだと
おっしゃいます。

 私たちは、貧しさを持っていることを認めるべきです。
それは経済的なことにとどまりません。愛の貧しさがあります。
神との関係の貧しさがあります。罪や汚れを抱えている人間は、
様々な貧しさを持っています。しかし、それを認めるのは、自分に
嘆くためではないのです。貧しさを取り繕
(つくろ)う人生を始めるため
にではないのです。主にその貧しさを告白し、主に求め、主から
与えられて生きていくためにです。

 貧しい私たちを受け止めてくださる主は、喜んで私たちを神の国に
属し、また神の御支配の中で生きる者としてくださいます。
 これは、私たちが何かを持っていることで可能になることではあり
ません。自分ではどうにもできないことを知って、主に求め、主から
与えいただく者が手にする命です。

 主は、弟子たちを見つめながら、不幸についても語られます。
不幸なのは、自分には主が必要だということを見失う時です。
そこに流れてしまう弱さがあります。しかし、ハッと我に返り、
主に立ち返る時に「幸いである」とおっしゃる主の言葉が、
再び響きます。